Read in Japanese: Why Ichiro 'was everything' to Seattle Mariners fans
シアトルT-モバイル・パークにマリナーズの歴史を彩った名選手を称える新たな記念プレートが登場した。さらに来年には、銅像建立の計画も発表された。
その選手は世界が誇る鈴木イチロー氏だ。
球団は、彼の背番号「51」を永久欠番とすることを決定。8月10日の球場は、イチロー氏への敬意を示す熱狂的なファンで埋め尽くされた。「イチロー!」と連呼する声が球場に大きく鳴り響く中、涙を静かに拭く観客の姿もあった。
表彰台に立ったイチロー氏は英語で「シアトル!調子はどうだ?」観客に向かって呼びかけた。彼が公の場で英語で話すのは極めて珍しい。
「今日この場所にいられる事を大変光栄に思っています。この最高の栄誉をいただいて心より感謝しています。ただ……誰が二週間で二度も英語でスピーチさせようなんて考えたんですか?」と笑いを誘いながら語り、英語でのスピーチは自身のキャリアの中で「最も困難な挑戦の一つ」であったと笑顔で振り返った。
式典には、マリナーズの歴代の名選手が多数参列した。参列者のひとり、殿堂入り投手ランディ・ジョンソン氏(身長2.02メートル)もかつて同じ背番号「51」を背負った人物だ。
「シアトルではすでに「51」に深い歴史がありました。」しかし、その背番号はイチロー氏が日本球団オリックス・ブルーウェーブでの在籍時の9年間背負っていた特別な番号でもあった。
「でも、ジョンソン氏は51番を私に譲ってくれました。彼の優しさがなければその背番号を着ることはできなかった。その責任と誇りを保つためにがんばりました」とイチロー氏は感謝の言葉を述べた。
観客の中には、家族5人で声援を送るアードリー・バスチャンさんの姿もあった。日系アメリカのバスチャンさん一家は、幼少期から家族全員でイチロー氏を応援していたという。
「イチロー氏は謙遜する大切さ、小さい努力の積み重ねの大切さを教えてくれました。私の家族の絆を強くしてくれた存在でもあります」と強調した。
母のアリサ・中田さんはイチロー氏は自分の息子だと思っていると嬉しそうに語った。「彼は私の人生の一部です。今日は私にとっても画期的な瞬間です。彼は私の誇りです」と涙ぐみながら打ち明けた。
また、日本から駆けつけたファンの姿もあった。谷秀紀さんと息子の谷凌太朗さんは日の丸に「イチロー 51 野球殿堂」と書かれたポスターを掲げて声援を送った。
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かつてニュージャージー州に4年間滞在し、その間全米を飛び回ってイチロー氏を追いかけ続けた谷さんは「アメリカで活躍しているイチローさんに自分も励まされてきました。だから、どうしても今日見ないといけないと思って来ました」と語った。
凌太朗さんも「アメリカでイチローさんと同じように、周りと比べて小柄なプレイヤーとしてやっていかないといけなかったので、その面ではやっぱり勇気を与えてくれました」と述べた。
スピーチの最後にイチロー氏は現役のマリナーズ選手に向けて、「今年は彼らの重要なシーズンになるかもしれない。この瞬間を大切にし、この機会を逃さず活かすことができると、私は確信している」と力強いエールを送った。
その後、「さぁ!試合をはじめるぞ!」と笑顔で叫ぶと、スタジアムは再び大歓声に包まれた。試合はマリナーズがタンパベイ・レイズを7対4で下し、勝利で締めくくられた。
翌日の朝、イチロー氏は記者会見に出席し、前日とは対照的に野球帽の上にサングラスをかけ、スポーツウェア姿で、リラックスした様子で記者会見に臨んだ。
来年建立予定の銅像について問われると「聞かされていなかったからびっくりしたと言い、「想像もしていなかった」と率直な思いを語り、笑みを浮かべながら「僕が死んだ後も安心だなって思いました」とユーモラスに答え、会場を和ませた。